東京アラートとクオンツ運用
クオンツ運用に関して
私は外資系金融機関二社で合計18年近く勤めたのですが、その間殆どを金融工学を扱う商品開発部に属していました。しかしパリの本店で勤務した時はグループの運用会社に出向して「クオンツ運用部」というところで資産運用をやっていました。
クオンツ運用というのは資産運用の手法の一つで、定量的なデータを重視して定性的な判断を極力排除する運用手法です。定量的というのは具体的な数字(例えば株価の上昇率とか売上高の推移とか)で判断するアプローチで、定性的というのは数字以外の基準(例えば経営陣の方針とか態度とか)で判断する方法です。簡単にいうと「クオンツ」は色々な数字を集めてそれだけを判断基準にして運用をおこなうのです。ファンドマネージャーの腕の見せ所は「過去の数字を将来予測にいかにうまく扱うか」につきます。実際はすごく難しいです。
クオンツの投資判断は基本的には市場の数値により決めます。例えば私がいたチームでの運用は、日本株への投資配分は株価の上昇率や価格の変動率、他の資産との相関といった数値を事前に決められている式に入れて「計算」されるのです。「日銀の追加緩和があるかもしれないから投資比率を引き上げよう」といった投資判断はされません。
クオンツ運用がファンドマネージャーの定性的判断や恣意的な調整などを行う余地のある伝統的なアクティブ運用に比べて優秀かというと決してそんなこともなく、成功しているクオンツ運用もあれば成績が芳しくないクオンツファンドもたくさんあります。同じプログラムでも市場環境によって得意不得意があるので、ある時期にとても良い成績を出したからといって長期にわたり超過収益をあげられるとも限りません。
またクオンツ運用を行うにあたってはデータの質と量が重要で、それらが揃っていても運用を開始してみると予想外の問題が発生するので、顧客の資産を受け入れて本格的運用を開始する前にある程度のテスト運用期間を設けてモデルの検証を行うのが通常です。
大阪モデル・東京アラートについて
コロナ災害への対策として緊急事態宣言が解除された後に各自治体において経済活動や市民生活の自粛を要請するか解除するかの判断を行うにあたり、独自のモデルを作る動きがありました。特に大阪はいち早く独自の「大阪モデル」を開発して、それに基づき自粛緩和などの判断を下しました。東京も若干遅れて独自の「東京アラート」なる基準を作成しました。東京のほうは数値基準はあるものの、知事が恣意的に判断できる余地を大きく残しています。
すでにお気付きの読者もいるかと思いますが、「大阪モデル」や「東京アラート」というのは感染症に対する都市機能の制限を判断するにあたり「クオンツモデル」を使用しているのです。「モデル」はいくつかの数値(新規の感染者数など)を集めて判断を下すシステムです。客観数値のみで判断が下されるのは純粋なクオンツモデルであり、そこに知事の恣意的運用が入ってくれば定性的なモデルの要素が入ってきます。
先にも述べましたが「クオンツ運用」がうまくいくためには、データーの質と量、さらにはモデルの質を確認するための事前テストなどが必要です。数字を利用しているとなんとなく「エビデンスベース」で判断しているようで科学的な感じがしますが、指標の選択や基準値の決定などのモデルの構築部分ではさまざまな仮定や予測が入り込む不安定な部分は残ります。そもそも新型コロナに対するデーターは質と量ともに足りておらず、定量的データのみで判断するには無理がある性質のものです。このような状況下ではそれらしい仮説を基にそれらしい「モデル」を作っても大体うまくいきません。
案の定大阪は6月22日に、東京は29日にそれぞれモデルの見直しを行うことを発表しました。それらしいモデルを作ってみたが、実際に運用を開始してみたら問題が発覚してモデルを見直す、という流れはクオンツ運用に従事してたものから見ると「そりゃそうなるよね」というのが正直な感想です。
クオンツモデルの良いところは、数値ベースでの判断なので「わかりやすい」ことでしょう。自粛解除を判断するにあたり、専門家会議による決断とだけ言われても、何を根拠にそうなったのか「納得感」が得難いです。しかし、複数の指標が基準値を下回ったので、と言われれば根拠がわかりやすく、納得しやすいでしょう。
全て恣意的に知事が判断するというのはさすがに説明不足ですし、感染症の専門家でもない知事の判断を信じて良いものか市民としては不安です。
理想的には複数の分野の専門家が集まる会議においてクオンツモデルも参考にして(ただそれが絶対ではなく)定性的な判断を加えて知事に助言をおこなうというのがコロナ禍に際しての自粛解除等に関わる判断のあるべき姿であったと思います。おそらく政府の緊急事態宣言の発令と解除に関わる判断過程がこれに一番近かったと思います。
クオンツモデルは透明性や分かりやすさといった最近の政治で好まれる点においては非常に優秀なのですが、使用にあたり適切な状況とそうでない状況が明確にあり、新型のウイルスのように未知の危機に対してはあまり有効な手段ではありません。にも関わらず所詮は持続性がなく結果として有効でもない「モデル」を作り上げてアピールしてしまうのは「政治」の側に問題があるのか、それとも不透明な状況の中で市民側が何らかの指針や透明性を必要としていたので致し方なかったのか、今後の検証が必要と思われます。