梅の季節:受験で涙した子供達へ
30年前のこの季節、僕は中学受験で志望校に受からずそれまでの人生で最大の挫折を味わっていた。
その後にも僕は人生において試験に落ちたり、それ以外にも様々な挫折を経験したけれど12歳で経験した中学受験の失敗はその中でもかなり厳しい体験だった。精神的にまだまだ未熟な割に全ての失敗を自分自身で背負い込むんだから辛いのは当たり前だと思う。
第一志望に受かる幸運な人より、そうでない人の数の方が多いだろうけど、そう言われても大した慰めにはならないしやっぱり悲しいものだろう。
とはいえ、中学受験で第一志望に受からなかった僕から少しは将来に希望の持てそうな話をしたい。
まず始めに、中学受験で勉強した算数や国語の基礎は今後相当役に立つ。信じられないかもしれないけど、社会人になっても中学受験(特に4科目で受験した場合)のレベルはちゃんと覚えていれば「一般常識」として役に立つ。第一志望に落ちたからって勉強したことには変わらないし、あの頃勉強したことは他の時期の勉強より不思議と残っているものだ。
次に人生において「運」と「努力」の重要性と特性を理解することはとてもいいことだ。受験は少なからず運に左右される。それを努力で補うよう頑張るんだけど、うまくいかない時もある。「運」と「努力」のバランスを実感できないまま大人になると、なんでも「運」のせいにしたり逆に全てを「努力不足」のせいにしたりと極端な考えを持ってしまうことがある。こういうバランス感覚を12歳で自然と身につけれられたら大きな宝となる。
次に日本でも海外でも大学受験が「本丸」と思われているんだけど、大学受験の成功は中学では決まらない。もちろん素晴らしい中高一貫校に入れば良い教育を6年間受けられるけど、最後の2年間の努力次第ではなんとかなる差だと思う。
最後に、これは受験だけじゃないんだけど人生何が幸運で何が不幸かっていうのはなかなか自分でもわからないものなんだ。一見して悲しい挫折だと思えることも、かけがえのない出会いや経験をもたらしてくれたりする。人生は12歳で決まらないし、18歳でも決まらないし、多分42歳でも決まらないんだと思う。ありがたいことに、今日の日本は12歳の君たちにも、42歳の僕にも希望のある社会だし「なんとかなる」社会だ。人の価値観から解放されて自分自身が感じる幸せを求めてこれからも頑張ろう。これはきっと12歳も42歳も変わらない気がする。